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※2014/10/15現在

国旗トルコ共和国の紹介

概略

地図

(出所)外務省

 

国名

トルコ共和国

首都

アンカラ

面積

78万平方キロメートル

人口

7,667万人(2013年末・国家統計庁推定)

人種

トルコ人(一部クルド人、ギリシャ人他)

言語

トルコ語

宗教

イスラム教(スンニ派)

時差

日本−6時間

格付

Baa3(Moody's)/BB+(S&P)(2014/10/15)

  • ※外務省・JETRO、BloombergをもとにSBI証券が作成

歴史と政治

年月

略史

1299年

オスマン帝国成立

1522〜66年

スレイマン1世の時代。欧州、アフリカ、ペルシャにまたがる大帝国に

1853〜56年

クリミア戦争

1919〜22年

祖国解放戦争

1923年

ローザンヌ条約。トルコ共和国成立。初代大統領ケマル・アタチュルク

1952年

大西洋条約機構(NATO)加盟

1960年

軍による5.27クーデター

1961年

民政移管

1971年

政権交代

1974年

キプロス侵攻

1980年

軍による「9.12クーデター」

1983年

民政移管

2005年

EU加盟交渉開始

「文明の十字路」から「政治・経済の十字路」へ

トルコの特徴は、その地政学的・歴史的な魅力にあると思います。中核都市であるイスタンブールは、ギリシャ植民都市に起源をもち、その後、歴史的超大国であるローマ帝国や、ビザンチン帝国、オスマン・トルコ帝国の中核都市や首都として、「文明の十字路」に位置し、栄えてきました。

現在、トルコはイスラム教(スンニ派)を信仰するトルコ人(他に一部少数民族)の国となっていますが、国境を接している国は、ギリシャ、ブルガリア等の欧州諸国、グルジア、アルメニア等の旧ソビエト連邦諸国、イラン、イラク、シリア等の中東諸国と多彩で、「文明の十字路」としての存在は色褪せていません。

近年も、主に自動車産業の輸出相手先として欧州との結びつきを強めており、EU(欧州連合)への加盟交渉を展開しています。一方、本年2月にエジプトで、ムバラク前大統領が辞任した後、欧米とアラブ世界の橋渡し役として、その存在感が強まりつつあります。トルコは「政治・経済の十字路」としても改めて脚光を浴びており、諸外国からの投資が増える可能性があります。

なお、日本との関係においては、1890年のエルトゥールル号遭難(和歌山県沖)事件や、イラン・イラク戦争時におけるトルコ航空機による日本人救出劇等が記憶されています。一般的にトルコは、海外でも最も親日的な国のひとつとして知られています。

財政危機・高インフレを乗り越え、安定成長の時代に

【トルコの消費者物価上昇率(年平均・前年比・%)】

トルコの消費者物価上昇率

トルコはかつて、深刻な国家財政危機を背景に慢性的なインフレ(物価上昇)に苦しんでいました。
IMF(国際通貨基金)の統計によると、1980〜2003年の同国の年平均インフレ率は61%にも達しました。このため、2001年頃までは金融システムも不安定な状態が続いていました。
しかし、IMFの継続的な融資支援に併せ、トルコ政府は、財政赤字の削減、金融部門の強化、国営企業の民営化を中心とする経済構造改革を実施。その効果が表れた2002年からは経済がV字回復を遂げ、インフレも次第に安定方向に向かいました。

2002〜2010年の実質GDP成長率は年平均5%弱、2004〜2010年の年平均インフレ率も8.6%と、経済は安定成長期を迎えています。

欧州向け輸出拠点として経済発展

1982年まで、トルコ最大の産業は農業で、穀物や果実・野菜を多く生産してきました。
しかし現在、同国最大の産業は製造業であり、自動車、鉄鋼、家電などを生産しています。
その多くは欧州や中東向けに輸出され、特に自動車産業では、ルノー、フィアット、トヨタ、ホンダなどの欧日主力企業が、現地生産を行っています。

右の図にもある通り、トルコにとって最大の輸出国はEU(欧州連合)となっています。
ドイツ、フランス、イギリスなど、主要国がその上位を占めています。即ち、トルコ経済は欧州経済の動向に強く影響されると考えられます。
なお、原油等の原材料は主に輸入に依存しています。

なお、中東・北アフリカやロシア向けに建設業者が進出している他、資源に恵まれた観光も主要産業のひとつとみられます。

 

【トルコの輸出先別構成比(%)】

トルコの輸出先別構成比(%)
  • ※トルコ統計局データをもとにSBI証券が作成。

トルコ経済の魅力

【主な欧州周辺国の人口】

主な欧州周辺国の人口

【主な欧州周辺国の若年人口比率】

主な欧州周辺国の若年人口比率

トルコ経済の強みとしては、その潜在的な成長余地の大きさを指摘することができます。
その背景としては第1に、人的資源が豊かであることがあげられます。人口は7千万人強となっていますが、これはEU加盟国の中核であるドイツの8,160万人(2010年・IMF推計)よりは少ないものの、図にもある通り、主要欧州周辺国の中では最も多くなっています。
また、若年層が全人口に占める比率も同周辺国の中では際立って高くなっています。加えて、若い専門職が2,470万人(トルコ共和国首相府投資促進機関)存在しており、その質の高さも強みとなっています。

その他、冒頭に述べたような地理的優位性や、整備されたインフラ、優遇された税制(増人税は20%)等を武器に、トルコは、欧州をはじめとする近隣諸国地域の輸出拡大で成長を遂げています。IMFの予想(2011年4月)では、今後5年間(2011〜15年)の同国年平均成長率は4.2%と見込まれており、これら周辺国よりも高い成長率が見込まれています。

なお、トルコは1987年にEU(欧州連合)加盟を申請し、現在に至っています。イスラム教徒の国として中東諸国の一角を占める一方、軍事面ではNATO(北大西洋条約機構)に参加。またサッカー・ワールドカップでは予選を欧州で戦うなど、ユニークなポジションを占めています。これで、EU参加の可能性が強まれば、海外からの投資の一層の増加が期待されることになるでしょう。

経済の概況

【トルコの実質GDP(四半期・前年同期比)】

トルコの実質GDP

トルコ経済は2008年まで高い成長を遂げたものの、2009年第1〜3四半期にはマイナス成長に陥りました。リーマン・ショックを契機とする世界的な信用収縮が背景です。
鉱工業生産が2008年8月から2009年9月まで連続して前年同月比で減少を続けるなど、製造部門に大きな影響が表れました。しかし、それ以降は、欧州向けの輸出の回復や消費者マインドの回復もあり、景気は回復基調に入りました。
2009年第4四半期以降2010年第4四半期まで、トルコの実質経済成長率は四半期平均で、前年同期比8.5%となっています。

【トルコリラの対円相場と金利の推移】

トルコリラの対円相場と金利の推移

トルコリラ(新トルコリラ:ここでは「新」を省略する)の対円相場は2008年8月には、1トルコリラ93円台を付けていましたが、リーマンショック(2008年9月)を挟んで下落に転じ、2011年1月には51円台の安値を付けました。世界的な信用収縮に、トルコの持続的なインフレ率低下が加わり、国債利回りが低下を続けたことが大きな要因とみられます。この間、主力輸出先である欧州経済も低成長が懸念された上、南欧諸国を中心に財政不安が台頭したことも響きました。
2011年に入り、中東諸国で民主化運動が本格化しましたが、トルコは近年、エジプトやリビアとの経済交流を深めていただけに、その悪影響も心配されました。

様々な地域と国境を接していることはトルコ経済の利点でもあり、リスク要因でもあることが、トルコリラの低迷を通じて明らかになった形です。

しかし、ユーロ安を背景に、欧州経済の牽引役とみられるドイツ経済の復調が明らかとなり、ユーロ圏は2011年4月に政策金利の引き上げに踏み切りました。
また、南欧諸国の財政不安についても、欧州の製造拠点としての競争力について、トルコの台頭(その分、南欧諸国の競争力が低下)が強く影響した結果との見方を取ることもできます。中東の民主化運動についても、欧米と中東のパイプ役を演じて来たエジプトの政変もあり、同じ役回りをトルコに期待する動きが出てくる可能性もありそうです。
ちなみに、トルコは議会制民主主義国家であり、多くの中東諸国のように政変が発生するリスクも小さいと考えられます。

さらに、世界的な物価上昇圧力から、トルコでもさすがに2011年末にかけては、政策金利が引き上げられるとの見方も出てきています。トルコリラを取り巻く投資環境は変化しつつあるようです。

【トルコのEU加盟問題に関する注意点】

トルコのEU加盟は、トルコへ投資する歳の大きな動機付けになるテーマと考えられます。しかし、この問題に大きな進展が見られないことも確かです。欧州大陸に属しているのが、国土の5%程度に過ぎない上、かつてオスマン帝国が、東欧・ギリシャを占領した歴史的経緯も障害になっていると考えられます。従って、EU加盟に過度に期待して投資することはリスクを伴なうとみられます。

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